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2014/3/24 政策部長談話「患者の自己責任の『選択療養』の導入に反対する 命、健康を守る『ルール』を蹂躙する規制改革会議を指弾する」

患者の自己責任の「選択療養」の導入に反対する

命、健康を守る「ルール」を蹂躙する規制改革会議を指弾する

神奈川県保険医協会

政策部長  桑島 政臣


 3月19日朝、規制改革会議が混合診療について、患者と医師の責任で個別に診療行為を決められるように改めるべきとする基本的な考え方をまとめた、とNHKが報道。「選択療養」と呼ぶ「新たな仕組み」を設けるとした。われわれは皆保険制度を形骸化するこの考え方、自己責任による混合診療の野放図な解禁に、断固反対する。併せて執拗に混合診療に拘泥し、「規制緩和」の金看板で、命、健康、安全を守る「ルール」を標的にし、蹂躙し続ける規制改革会議の廃止を強く求める。

 所管の規制改革推進室(内閣府)は、同日の当会の照会に、「何もまだまとまっていない」と応じたが、報道はこの間の議論から確度が高く、3月とりまとめ、6月答申のスケジュールとなる。

 混合診療は保険外併用療養費の制度で、先進医療や未承認の医薬品・医療機器(=評価療養)、差額ベッド(=選定療養)が厚労省の管理下で現場要望に基づき、認められている。昨年2月の規制改革会議の混合診療解禁の妄言に、田村厚労相が保険外併用療養費の存在を示し、その無理解を是正して以降、同会議は保険外併用療養制度の拡充・拡大、改革を御旗に掲げ、攻勢をかけてきた。

 昨秋の公開ディスカッションで、(1)費用対効果の点で保険導入に至らない先進医療、(2)市場性・商業性がなく治験実施が見込めない先進医療、(3)保険導入に至らず、「落選」した評価療養などに対応する新たなカテゴリーの検討を厚労省は約束させられた、というのがこの間の経緯である。

 しかも、1月21日の規制改革会議では、この整理として事務局(内閣府)から提出された資料には、「改革の方向性」を(1)患者の自己選択権の拡大、(2)医師の裁量権の尊重とし、「一定の手続き・ルールの下、患者と医師が選択した治療については、個別に、保険診療との併用を認める仕組み」を提案。選択権と裁量権が阻害されていることが問題とばかりの、巧妙なすり替えを図っていた。これが、まさに冒頭の「自己責任による混合診療」=「選択療養」である。

 この「選択療養」は、患者と医師の希望に応じ、患者が同意すれば、保険外と保険診療との併用(混合)を認める構想であり、評価療養、選定療養に次ぐ第3のカテゴリーとなる。

 規制改革会議は、患者・医師間の情報の非対称性を埋める仕組みや治療を客観的にチェックする仕組みを随伴させ、安全性を確保し似非医療、不当な患者負担を防止するというが、これは無理がある。

 そもそも、安全性・有効性が確立したものが、わが国では健康保険の適用となり、皆保険制度のもと保険診療がなされている、これが原則である。

 ただ、現実対応として医学・医術の発展による保険導入のタイムラグをつなぐものとして、特定療養費制度が1984年に設けられ、2006年に保険外と保険の併用の具体的要望に概ねすべてに対応するとし保険外併用療養費が制度化されたのである。この保険外併用療養は、評価療養、選定療養とも、その実施メニュー、料金は厚労省の管理の下にある。

 しかし、今回の「選択療養」は、医師と患者の合意で、保険外併用(=混合診療)は「何でも」可能であり、こうなると混合診療は野放図となり、いわゆる「混合診療の全面解禁」状態となる。

 混合診療とは、健康保険の利く診療と、利かない「保険外」診療との混合と一般的に解されているが、本質は「自由診療」へ健康保険のお金を部分的に適用することである。診察や検査など保険診療との類似行為に着目した、保険財源の「流用」である。そこでの医学管理は自由診療、保険外診療に対するものである。

 昨年10月、財務省の新川主計官は「混合診療の全面解禁に反対」とし、理由に保険診療部分の負担増、治療効果が定かでない医療に公費が使われるとあげ、釘をさしている。

 中村・社会保障改革担当前室長も「制度的に卒業としている」とし、この3月には経済界が混合診療に実のある回答ができず、「議論の土俵を現実的なものにすべき」「メリットとして何が得られるかはっきりしない」と切って捨てている。

 現在、保険外併用療養費の先進医療は、法的規制のある「臨床試験」への適応から、指針対応の「臨床研究」にまで広がり、現場要望に応え科学的な有効性・安全性が確立していないものまでも対象となっている(「先進医療B」)。この実施計画の厚労省内のチェックを昨年11月には先進医療ハイウェイ構想の下、第三者機関へと外部化し、いま国家戦略特区で厚労省職員による申請支援と3か月でのスピード承認へと、進んでいる。「診療」ではない、「試験」や「研究」が、「保険外併用療養」(=「混合診療」)と詐称され、制度の「融解」が進んでいる。

 この上をいく自己責任の「選択療養」は、有効性・安全性の問題を超越し、被験者(患者)保護の観点もなく、「生命倫理」の蹂躙、「医の倫理」を無視した、ビジネス界の利益至上主義の人権軽視、人権問題となる。ヘルシンキ宣言に悖る事態が、より深刻になる。

 規制改革会議は、情報の非対称性を埋めて安全性を確保し、客観的チェックで似非医療や不当な患者負担を排除するとしている。しかし、保険未収載の医療技術の保険導入にあたっては、有効性、安全性・技術的成熟度、普及性、効率性、倫理性・社会的妥当性の指標に照らし、治癒率・死亡率、副作用と頻度、学会の位置づけ・難易度、対象患者数・実施回数、既存治療法との比較・費用比較など多岐にわたる検討を経ている。また医薬品、医療機器は「治験」により安全性・有効性が担保がされている。この枠外が、保険外であり、その中から具体的要望があったものが評価療養、選定療養と位置づけられ厚労省の管理下で運用している。

 これを外れる何を、どうやって安全性を確保・担保し、過度な経済負担を排除するのだろうか。稀有な尖端研究などは、より情報の非対称性は激しく危険度は高く、過度な患者負担を誘発する。昨年2月に規制改革会議は、「再生医療の推進」「医療機器の承認業務の民間開放」「治験前臨床試験のデータの承認申請の活用」を論点にあげ、この間は「検査薬のOTC化」「セルフメディケーション」を俎上にあげてきた。「自己責任」を梃に、特定の医療機関との結託したビジネスチャンスを虎視眈々と狙っていると考えるのが自然である。

 自己選択で「自由診療」を受診することは、いまでも可能であり何も阻害されていない。現行の枠を超越し、保険診療を巻き添えにする必要はない。

 先進医療の代表格、重粒子線治療は保険外併用療養で総額339万円、保険診療分は33万円が充当されている。自費負担306万円を患者負担に追加で用意できないと受診は不可能である。これが保険導入となれば、高額療養費の適用で9万円程度で受診となる。

 このように、保険外併用療養、混合診療は、経済格差による受診格差、「階層消費」を生み、歯科医療の歴史にみるよう自費依存を理由にした、保険診療の拡充の放置、低質固定化に帰結する。また医師―患者間の同意の「選択療養」は、歯科差額の再燃、法外な患者負担を招くことは必至である。

 医療費の自然増削減を旗幟鮮明にし、72年の中医協建議(薬価引下げ財源の技術料振替)を否定した財務省の下、自費依存傾向を医科、歯科とも医療機関が見せている中、「選択療養」で医療秩序は破壊され、皆保険制度が確実に綻びをみせていく。

 成長戦略の一貫として主張が繰り返されるが、先進医療、高度医療は203億円、総医療費の0.05%に過ぎず、検証も実証もされていない。またカバーする先進医療特約「商品」の販売となったが、保険金支給が通算600万円などの限度があり、重粒子線治療の複数回照射は完全にカバーされない。保険料収入なども大きくはなく市場規模にも限界がある。

 混合診療禁止の保険診療のルールは、命、健康、安全を守る社会的規制であり必須である。この規制緩和、ルール無視の究極は、痛ましいJR福知山線の脱線事故である。09年の政権交代を機に、規制改革会議の廃止が取り沙汰されたはずだが、結局、温存されたままである。

 先進医療などの評価療養は一定期間を経、会議の篩にかけられ保険導入、継続、落選の3つに分かれる。この落選を保険導入を前提しない「選定療養」の対象とすることが、10年に行政刷新会議では提案をされ、1医療機関で混合診療を可能とする「機関特区」も併せて提案されていた。この「選択療養」はこれを焼き直し強化した、トロイの木馬である。

 規制改革会議や産業競争力会議を通じ財界は、この保険外併用療養の換骨奪胎にみるよう、医療法人改革でも非営利を看板に残しつつ実質、企業経営を可能とする提案を矢継ぎ早にしており、制度・政策に知悉した「戦略」展開へと変化を見せている。

 われわれは、「選択療養」の導入に反対するとともに、百害あって一利なしの規制改革会議の廃止を強く求める。

2014年3月24日

 

患者の自己責任の「選択療養」の導入に反対する

命、健康を守る「ルール」を蹂躙する規制改革会議を指弾する

神奈川県保険医協会

政策部長  桑島 政臣


 3月19日朝、規制改革会議が混合診療について、患者と医師の責任で個別に診療行為を決められるように改めるべきとする基本的な考え方をまとめた、とNHKが報道。「選択療養」と呼ぶ「新たな仕組み」を設けるとした。われわれは皆保険制度を形骸化するこの考え方、自己責任による混合診療の野放図な解禁に、断固反対する。併せて執拗に混合診療に拘泥し、「規制緩和」の金看板で、命、健康、安全を守る「ルール」を標的にし、蹂躙し続ける規制改革会議の廃止を強く求める。

 所管の規制改革推進室(内閣府)は、同日の当会の照会に、「何もまだまとまっていない」と応じたが、報道はこの間の議論から確度が高く、3月とりまとめ、6月答申のスケジュールとなる。

 混合診療は保険外併用療養費の制度で、先進医療や未承認の医薬品・医療機器(=評価療養)、差額ベッド(=選定療養)が厚労省の管理下で現場要望に基づき、認められている。昨年2月の規制改革会議の混合診療解禁の妄言に、田村厚労相が保険外併用療養費の存在を示し、その無理解を是正して以降、同会議は保険外併用療養制度の拡充・拡大、改革を御旗に掲げ、攻勢をかけてきた。

 昨秋の公開ディスカッションで、(1)費用対効果の点で保険導入に至らない先進医療、(2)市場性・商業性がなく治験実施が見込めない先進医療、(3)保険導入に至らず、「落選」した評価療養などに対応する新たなカテゴリーの検討を厚労省は約束させられた、というのがこの間の経緯である。

 しかも、1月21日の規制改革会議では、この整理として事務局(内閣府)から提出された資料には、「改革の方向性」を(1)患者の自己選択権の拡大、(2)医師の裁量権の尊重とし、「一定の手続き・ルールの下、患者と医師が選択した治療については、個別に、保険診療との併用を認める仕組み」を提案。選択権と裁量権が阻害されていることが問題とばかりの、巧妙なすり替えを図っていた。これが、まさに冒頭の「自己責任による混合診療」=「選択療養」である。

 この「選択療養」は、患者と医師の希望に応じ、患者が同意すれば、保険外と保険診療との併用(混合)を認める構想であり、評価療養、選定療養に次ぐ第3のカテゴリーとなる。

 規制改革会議は、患者・医師間の情報の非対称性を埋める仕組みや治療を客観的にチェックする仕組みを随伴させ、安全性を確保し似非医療、不当な患者負担を防止するというが、これは無理がある。

 そもそも、安全性・有効性が確立したものが、わが国では健康保険の適用となり、皆保険制度のもと保険診療がなされている、これが原則である。

 ただ、現実対応として医学・医術の発展による保険導入のタイムラグをつなぐものとして、特定療養費制度が1984年に設けられ、2006年に保険外と保険の併用の具体的要望に概ねすべてに対応するとし保険外併用療養費が制度化されたのである。この保険外併用療養は、評価療養、選定療養とも、その実施メニュー、料金は厚労省の管理の下にある。

 しかし、今回の「選択療養」は、医師と患者の合意で、保険外併用(=混合診療)は「何でも」可能であり、こうなると混合診療は野放図となり、いわゆる「混合診療の全面解禁」状態となる。

 混合診療とは、健康保険の利く診療と、利かない「保険外」診療との混合と一般的に解されているが、本質は「自由診療」へ健康保険のお金を部分的に適用することである。診察や検査など保険診療との類似行為に着目した、保険財源の「流用」である。そこでの医学管理は自由診療、保険外診療に対するものである。

 昨年10月、財務省の新川主計官は「混合診療の全面解禁に反対」とし、理由に保険診療部分の負担増、治療効果が定かでない医療に公費が使われるとあげ、釘をさしている。

 中村・社会保障改革担当前室長も「制度的に卒業としている」とし、この3月には経済界が混合診療に実のある回答ができず、「議論の土俵を現実的なものにすべき」「メリットとして何が得られるかはっきりしない」と切って捨てている。

 現在、保険外併用療養費の先進医療は、法的規制のある「臨床試験」への適応から、指針対応の「臨床研究」にまで広がり、現場要望に応え科学的な有効性・安全性が確立していないものまでも対象となっている(「先進医療B」)。この実施計画の厚労省内のチェックを昨年11月には先進医療ハイウェイ構想の下、第三者機関へと外部化し、いま国家戦略特区で厚労省職員による申請支援と3か月でのスピード承認へと、進んでいる。「診療」ではない、「試験」や「研究」が、「保険外併用療養」(=「混合診療」)と詐称され、制度の「融解」が進んでいる。

 この上をいく自己責任の「選択療養」は、有効性・安全性の問題を超越し、被験者(患者)保護の観点もなく、「生命倫理」の蹂躙、「医の倫理」を無視した、ビジネス界の利益至上主義の人権軽視、人権問題となる。ヘルシンキ宣言に悖る事態が、より深刻になる。

 規制改革会議は、情報の非対称性を埋めて安全性を確保し、客観的チェックで似非医療や不当な患者負担を排除するとしている。しかし、保険未収載の医療技術の保険導入にあたっては、有効性、安全性・技術的成熟度、普及性、効率性、倫理性・社会的妥当性の指標に照らし、治癒率・死亡率、副作用と頻度、学会の位置づけ・難易度、対象患者数・実施回数、既存治療法との比較・費用比較など多岐にわたる検討を経ている。また医薬品、医療機器は「治験」により安全性・有効性が担保がされている。この枠外が、保険外であり、その中から具体的要望があったものが評価療養、選定療養と位置づけられ厚労省の管理下で運用している。

 これを外れる何を、どうやって安全性を確保・担保し、過度な経済負担を排除するのだろうか。稀有な尖端研究などは、より情報の非対称性は激しく危険度は高く、過度な患者負担を誘発する。昨年2月に規制改革会議は、「再生医療の推進」「医療機器の承認業務の民間開放」「治験前臨床試験のデータの承認申請の活用」を論点にあげ、この間は「検査薬のOTC化」「セルフメディケーション」を俎上にあげてきた。「自己責任」を梃に、特定の医療機関との結託したビジネスチャンスを虎視眈々と狙っていると考えるのが自然である。

 自己選択で「自由診療」を受診することは、いまでも可能であり何も阻害されていない。現行の枠を超越し、保険診療を巻き添えにする必要はない。

 先進医療の代表格、重粒子線治療は保険外併用療養で総額339万円、保険診療分は33万円が充当されている。自費負担306万円を患者負担に追加で用意できないと受診は不可能である。これが保険導入となれば、高額療養費の適用で9万円程度で受診となる。

 このように、保険外併用療養、混合診療は、経済格差による受診格差、「階層消費」を生み、歯科医療の歴史にみるよう自費依存を理由にした、保険診療の拡充の放置、低質固定化に帰結する。また医師―患者間の同意の「選択療養」は、歯科差額の再燃、法外な患者負担を招くことは必至である。

 医療費の自然増削減を旗幟鮮明にし、72年の中医協建議(薬価引下げ財源の技術料振替)を否定した財務省の下、自費依存傾向を医科、歯科とも医療機関が見せている中、「選択療養」で医療秩序は破壊され、皆保険制度が確実に綻びをみせていく。

 成長戦略の一貫として主張が繰り返されるが、先進医療、高度医療は203億円、総医療費の0.05%に過ぎず、検証も実証もされていない。またカバーする先進医療特約「商品」の販売となったが、保険金支給が通算600万円などの限度があり、重粒子線治療の複数回照射は完全にカバーされない。保険料収入なども大きくはなく市場規模にも限界がある。

 混合診療禁止の保険診療のルールは、命、健康、安全を守る社会的規制であり必須である。この規制緩和、ルール無視の究極は、痛ましいJR福知山線の脱線事故である。09年の政権交代を機に、規制改革会議の廃止が取り沙汰されたはずだが、結局、温存されたままである。

 先進医療などの評価療養は一定期間を経、会議の篩にかけられ保険導入、継続、落選の3つに分かれる。この落選を保険導入を前提しない「選定療養」の対象とすることが、10年に行政刷新会議では提案をされ、1医療機関で混合診療を可能とする「機関特区」も併せて提案されていた。この「選択療養」はこれを焼き直し強化した、トロイの木馬である。

 規制改革会議や産業競争力会議を通じ財界は、この保険外併用療養の換骨奪胎にみるよう、医療法人改革でも非営利を看板に残しつつ実質、企業経営を可能とする提案を矢継ぎ早にしており、制度・政策に知悉した「戦略」展開へと変化を見せている。

 われわれは、「選択療養」の導入に反対するとともに、百害あって一利なしの規制改革会議の廃止を強く求める。

2014年3月24日