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2010/11/8 政策部長談話「医の倫理問う 朝日新聞報道を積極的に支持する」
医の倫理問う
朝日新聞報道を積極的に支持する
神奈川県保険医協会
政策部長 桑島 政臣
10月15日の朝日新聞1面トップ報道「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」を巡り、医療界の権威筋より批判が相次いでいる。しかし、この記事は、混合診療解禁、医療特区、高度医療評価制度、先端医療開発特区(スーパー特区)と連綿と続く、医療保険制度の形骸化策動や、臨床試験のダブルスタンダード化、医療法制の規制緩和の動きの下、現実に起きた事実を伝え、医の倫理を医療界に正面から問いただした記事だと、われわれは理解している。
この朝日新聞のスクープは、他社が同日夕刊で東大医科研の会見を後追いで報道することとなるが、会見では臨床試験の費用の一部を公的医療保険に請求、禁止されている混合診療を行っていたことが明らかになり、朝日新聞はこのことも翌日朝刊で報じている。当協会はこれまで有効性・安全性の担保のない未承認薬の保険外併用療養の制度化や臨床試験のダブルスタンダード化と無原則な保険外併用につながる高度医療評価制度などに関し、被験者保護のヘルシンキ宣言や皆保険の制度理念に照らし、その問題性に警鐘をならし、撤回するよう論陣を張ってきた。健全なジャーナリズム精神を発揮した朝日新聞の報道姿勢に対し、われわれは積極的に支持を表明する。
公的医療保険の下での日常診療における患者の治療と、ヒトを対象とした介入試験である臨床試験は全く別ものである。臨床試験は実施計画書(プロトコル)に基づき、対象の被験者も病態、病状など厳密に選定され、厳格な管理の下、「試験」が行われる。また被験者数の確保の観点から、複数の実施医療機関で行うのが一般的である。その中で、医薬品や医療機器の製造販売の承認のため成績データ集積をする臨床試験を薬事法では「治験」と定義し、倫理性・信頼性基準(GCP:省令)の下で行われている。当然ながら、臨床試験の費用は製薬メーカーや大学・研究機関などによる独自財政により運営されるものである。
朝日の報道で問題とされた、がん治療ワクチン投与による消化管出血、つまり臨床試験における「有害事象」に関し、GCPでは「治験薬又は製造販売後臨床試験薬を投与された被験者に生じたすべての疾病または徴候をいう」と定義されている。また、医薬食品局審査管理課の課長通知で「被験者に生じたすべての好ましくない又は意図しない疾病又はその徴候をいい、当該治験薬又は当該製造販売後臨床試験薬との因果関係の有無を問わない」とされている。
この有害事象の報告を、治験においては義務づけられている。つまり、被験者にとって軽度のものだから記録や報告が必要ないとはされず、これらの集積のなかから、のちに科学的推論に導かれて、その因果関係の評価がなされるのである。
有害事象の報告について、治験ではない医師主導の臨床試験は、GCP(法令)の適応ではないため義務化されていない。薬事法と「臨床研究の倫理指針」(ガイドライン)のみである。
朝日報道へ事実誤認との批判がなされているが、東大医科研はがんペプチド投与による出血および臨床研究の中止は事実と認めている。また、同種のペプチドを使う病院に報告をしなかったことも認めている。確かに、東大医科研のいうように「報告義務」はないが、果たして医療倫理上はどうかと朝日新聞の記事は投げかけ、「法規制なし対応限界」と臨床試験が法令による管理の治験と、行政指針によるそれ以外の臨床試験と、欧米の規制と異なるとダブルスタンダード化を衝いたのである。
朝日新聞の報道にあるように、東大医科研は先端医療開発特区(スーパー特区)でペプチドワクチン臨床試験の統括を担っている。この「スーパー特区」とは、大学病院などの臨床研究施設を中核に企業や研究機関をネットワークで結んだ「複合体」に、最先端医療の戦略的テーマを設定させ、コンペ方式で政府が選抜し、各省庁の科学研究資金の一元的運用の自由を与え、特許の早期審査など大幅な規制特例をあたえるものである。しかも開発段階から厚労省と規制の特例を密接に協議し技術開発を支援する仕組みとなっている。このスーパー特区は経済財政諮問会議が提案し2008年5月に内閣府、文部省、厚労省、経産省の四省合同で決定したものである。
この「スーパー特区」は一見、医療産業育成や知財戦略の一環の色彩を帯びているが、臨床現場から見て問題が多い。なぜなら、この「スーパー特区」は、治験を前提としない「高度医療評価制度」の活用を認めているからである。
本来、健保法の認める保険外の医薬品等と医療保険の併用は、治験終了ないしは治験段階にある―法令(GCP)に則った有効性・安全性の確認、が前提だった。高度医療評価制度とは、これを反故にし、治験段階にさえない未承認薬と医療保険の併用を認めたものである。有効性・安全性の未確立なものが医療保険に入りこむことになる。逆に言えば臨床試験に医療保険財政が流用されることになる。また、治験ではない臨床試験が行われるため、集積されたデータは製造販売には連動しない。更には、「複合体」が高度医療評価制度を扱うため、「医療特区」で問題となった企業の医療保険参入の"迂回路"となる。
われわれは08年当時、このスーパー特区が企業の医療経営参入と産官学複合の投機マネーの誘導策であり、法令に則らない臨床試験の合法化やダブルスタンダード化や、その下での医療機器「試作品」の臨床研究への利用、事故補償の保険商品開発の準備など、人道的にも問題が大きく、"人体実験"の懼れがあり、ヘルシンキ宣言からの逸脱が非常に危惧されると、政策部長談話を発表し警鐘した。いまもその危惧は依然、払拭されていない。
高度医療評価制度は、保険外併用療養の第3項先進医療(高度医療)と医療保険のなかで類型されているが、それでも適用にあたっては施設基準と大臣承認を必要としている。この未承認薬での第一号は久留米大学のがんペプチドであり、東大医科研は適用になっていない。だからこそ、記者会見で、禁止されている混合診療の認識の有無が問われたのである。
朝日の報道への人権侵害批判も、ワクチン開発者の株式取得の事実は否定されておらず、利益相反、「李下に冠をたださず」の示唆に応えていない。
われわれは、患者・国民のための医療・医学技術の進歩・発展、スピード化を否定するものではない。第一線の臨床家も治験に積極的に関与しはじめており、当会も治験審査委員会、倫理審査委員会を外郭と会内に設置し組織的対応をしている。
またわれわれは過日、医科政策提言を厚労省で記者発表をし、その中で医療者と患者の倫理、医療ガバナンスの確立に触れている。
朝日の報道は、投機マネー誘導、臨床研究の混合診療化、医療特区の全国化と、医療を蹂躙し産業界の野望に満ち溢れた「スーパー特区」を背景にした記事であり、事実による問題提起である。
いま医療の倫理の確立は、日々その重要性を増している。ヘルシンキ宣言を遵守できない組織に医療ガバナンスを語る資格はない。医療界の冷静な議論と卓見を期待したい。
2010年11月8日
医の倫理問う
朝日新聞報道を積極的に支持する
神奈川県保険医協会
政策部長 桑島 政臣
10月15日の朝日新聞1面トップ報道「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」を巡り、医療界の権威筋より批判が相次いでいる。しかし、この記事は、混合診療解禁、医療特区、高度医療評価制度、先端医療開発特区(スーパー特区)と連綿と続く、医療保険制度の形骸化策動や、臨床試験のダブルスタンダード化、医療法制の規制緩和の動きの下、現実に起きた事実を伝え、医の倫理を医療界に正面から問いただした記事だと、われわれは理解している。
この朝日新聞のスクープは、他社が同日夕刊で東大医科研の会見を後追いで報道することとなるが、会見では臨床試験の費用の一部を公的医療保険に請求、禁止されている混合診療を行っていたことが明らかになり、朝日新聞はこのことも翌日朝刊で報じている。当協会はこれまで有効性・安全性の担保のない未承認薬の保険外併用療養の制度化や臨床試験のダブルスタンダード化と無原則な保険外併用につながる高度医療評価制度などに関し、被験者保護のヘルシンキ宣言や皆保険の制度理念に照らし、その問題性に警鐘をならし、撤回するよう論陣を張ってきた。健全なジャーナリズム精神を発揮した朝日新聞の報道姿勢に対し、われわれは積極的に支持を表明する。
公的医療保険の下での日常診療における患者の治療と、ヒトを対象とした介入試験である臨床試験は全く別ものである。臨床試験は実施計画書(プロトコル)に基づき、対象の被験者も病態、病状など厳密に選定され、厳格な管理の下、「試験」が行われる。また被験者数の確保の観点から、複数の実施医療機関で行うのが一般的である。その中で、医薬品や医療機器の製造販売の承認のため成績データ集積をする臨床試験を薬事法では「治験」と定義し、倫理性・信頼性基準(GCP:省令)の下で行われている。当然ながら、臨床試験の費用は製薬メーカーや大学・研究機関などによる独自財政により運営されるものである。
朝日の報道で問題とされた、がん治療ワクチン投与による消化管出血、つまり臨床試験における「有害事象」に関し、GCPでは「治験薬又は製造販売後臨床試験薬を投与された被験者に生じたすべての疾病または徴候をいう」と定義されている。また、医薬食品局審査管理課の課長通知で「被験者に生じたすべての好ましくない又は意図しない疾病又はその徴候をいい、当該治験薬又は当該製造販売後臨床試験薬との因果関係の有無を問わない」とされている。
この有害事象の報告を、治験においては義務づけられている。つまり、被験者にとって軽度のものだから記録や報告が必要ないとはされず、これらの集積のなかから、のちに科学的推論に導かれて、その因果関係の評価がなされるのである。
有害事象の報告について、治験ではない医師主導の臨床試験は、GCP(法令)の適応ではないため義務化されていない。薬事法と「臨床研究の倫理指針」(ガイドライン)のみである。
朝日報道へ事実誤認との批判がなされているが、東大医科研はがんペプチド投与による出血および臨床研究の中止は事実と認めている。また、同種のペプチドを使う病院に報告をしなかったことも認めている。確かに、東大医科研のいうように「報告義務」はないが、果たして医療倫理上はどうかと朝日新聞の記事は投げかけ、「法規制なし対応限界」と臨床試験が法令による管理の治験と、行政指針によるそれ以外の臨床試験と、欧米の規制と異なるとダブルスタンダード化を衝いたのである。
朝日新聞の報道にあるように、東大医科研は先端医療開発特区(スーパー特区)でペプチドワクチン臨床試験の統括を担っている。この「スーパー特区」とは、大学病院などの臨床研究施設を中核に企業や研究機関をネットワークで結んだ「複合体」に、最先端医療の戦略的テーマを設定させ、コンペ方式で政府が選抜し、各省庁の科学研究資金の一元的運用の自由を与え、特許の早期審査など大幅な規制特例をあたえるものである。しかも開発段階から厚労省と規制の特例を密接に協議し技術開発を支援する仕組みとなっている。このスーパー特区は経済財政諮問会議が提案し2008年5月に内閣府、文部省、厚労省、経産省の四省合同で決定したものである。
この「スーパー特区」は一見、医療産業育成や知財戦略の一環の色彩を帯びているが、臨床現場から見て問題が多い。なぜなら、この「スーパー特区」は、治験を前提としない「高度医療評価制度」の活用を認めているからである。
本来、健保法の認める保険外の医薬品等と医療保険の併用は、治験終了ないしは治験段階にある―法令(GCP)に則った有効性・安全性の確認、が前提だった。高度医療評価制度とは、これを反故にし、治験段階にさえない未承認薬と医療保険の併用を認めたものである。有効性・安全性の未確立なものが医療保険に入りこむことになる。逆に言えば臨床試験に医療保険財政が流用されることになる。また、治験ではない臨床試験が行われるため、集積されたデータは製造販売には連動しない。更には、「複合体」が高度医療評価制度を扱うため、「医療特区」で問題となった企業の医療保険参入の"迂回路"となる。
われわれは08年当時、このスーパー特区が企業の医療経営参入と産官学複合の投機マネーの誘導策であり、法令に則らない臨床試験の合法化やダブルスタンダード化や、その下での医療機器「試作品」の臨床研究への利用、事故補償の保険商品開発の準備など、人道的にも問題が大きく、"人体実験"の懼れがあり、ヘルシンキ宣言からの逸脱が非常に危惧されると、政策部長談話を発表し警鐘した。いまもその危惧は依然、払拭されていない。
高度医療評価制度は、保険外併用療養の第3項先進医療(高度医療)と医療保険のなかで類型されているが、それでも適用にあたっては施設基準と大臣承認を必要としている。この未承認薬での第一号は久留米大学のがんペプチドであり、東大医科研は適用になっていない。だからこそ、記者会見で、禁止されている混合診療の認識の有無が問われたのである。
朝日の報道への人権侵害批判も、ワクチン開発者の株式取得の事実は否定されておらず、利益相反、「李下に冠をたださず」の示唆に応えていない。
われわれは、患者・国民のための医療・医学技術の進歩・発展、スピード化を否定するものではない。第一線の臨床家も治験に積極的に関与しはじめており、当会も治験審査委員会、倫理審査委員会を外郭と会内に設置し組織的対応をしている。
またわれわれは過日、医科政策提言を厚労省で記者発表をし、その中で医療者と患者の倫理、医療ガバナンスの確立に触れている。
朝日の報道は、投機マネー誘導、臨床研究の混合診療化、医療特区の全国化と、医療を蹂躙し産業界の野望に満ち溢れた「スーパー特区」を背景にした記事であり、事実による問題提起である。
いま医療の倫理の確立は、日々その重要性を増している。ヘルシンキ宣言を遵守できない組織に医療ガバナンスを語る資格はない。医療界の冷静な議論と卓見を期待したい。
2010年11月8日