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2012/1/19 政策部長談話「医療界を萎縮の連鎖に追い込む理不尽な先鞭 産科医療補償制度の危険性を警鐘乱打する」
医療界を萎縮の連鎖に追い込む理不尽な先鞭
産科医療補償制度の危険性を警鐘乱打する
神奈川県保険医協会
政策部長 桑島 政臣
産科医不足は依然、深刻な状況にある(厚労省調査)。医学部卒業生の産科選択はいま激減しゼロとなっている大学が数少なくない。お産の未来が危ない、つまり日本の将来が危なくなっている。
無罪となった産科医の逮捕事件の衝撃は依然と大きく、訴訟リスクも外科の倍(1,000人あたり9.9人)と異常に高いことがこの背景にある。このような下、医事紛争を誘発させる巧妙な仕組み、産科医療補償制度の陥穽がいま次々と明らかになっている。この制度は検討中の無過失補償制度の雛型となる可能性が高く、全ての診療科目の医療事故に適用され、診療現場への影響が計り知れない。近くこの制度は見直しとなるが、その帰趨が医療界の命運を握っているといっても過言ではない。
われわれは、産科の限局的な問題ではないことを説き、この危険性を警鐘乱打するとともに、理不尽な仕組みの改善を強く求める。
医療事故とはイコール医療過誤ではない。偶発的なアクシデントや不可避的な事象などを含んだ医学技術的な観点で予期せぬ事柄を包摂した概念である。医療過誤はその一類型である。
産科医療補償制度は(1)分娩に関連して発症した重度脳性麻痺児とその家族の経済的救済、(2)発症原因の分析、(3)これらを通じた紛争防止と産科医療の質向上を目的とし、09年1月に発足した。制度運営は日本医療機能評価機構(以下、「機構」)が担い、分娩機関が1分娩につき掛け金3万円を負担し、重度脳性麻痺児の発症の際に3,000万円(一時金1回600万円、分割金120万円/年で20回)が「補償金」として機構から分娩機関を通じて妊産婦に支払われる。ただし、約款に事務の委託条項があり、機構から直接支払われる。また先天性要因や分娩後感染症によるもの等は補償対象から除外される。
この制度に関し、機構は損保会社の東京海上日動火災等と保険契約を結んでおり、分娩機関の掛け金をもとに「保険料」を損保会社に納め、重度脳性麻痺児の発症の際に「保険金」として支払いを受ける形となっている。つまり、事実上の「民間保険制度」の枠組みとなっており、機構が分娩機関を統括して代理契約する形となっている。
問題は、この機構が行う「補償認定」と「原因分析」、それに伴う「調整委員会」の調整、「原因分析報告書」「再発防止報告書」にある。
この制度は、重度脳性麻痺児の発症の事実をもって、補償がなされるのが制度の本来である。しかし、機構は補償の可否、つまり損保会社に保険金請求をするかどうかを、分娩機関の依頼の際に、「補償認定審査会」で協議をする。その際、出産証明のほかに、なぜかカルテ、検査データ、診療体制情報など詳細な書類の提示が義務づけられている。
また、この制度の目的の二番目、発症原因の分析に関し、上記とは別の「原因分析委員会」が提出されたカルテ等を分析。"分娩機関の過失の有無を判断するものではない"、と断言しながら、「重大な過失が明らか」なケースは医療訴訟に精通した弁護士等から構成する「調整委員会」で法律的検討をし、分娩機関との「調整」を行うとなっている。「調整」とは、有責認定による「賠償責任保険」への切り替えを意味している。しかも、この結果に対し分娩機関は異議申し立てが不可能という、不可思議な仕組みとなっている。
更には、この原因分析委員会が作成する「原因分析報告書」は、個別に発症事例の仔細が記されてあり、ホームページで要約版が公表され、全文も氏名等がマスキングされた上で公開となっている。よって匿名化されていても、当事者自身は特定ができる。「再発防止委員会」はこの分析報告をもとに「再発防止に関する報告書」を作成しているが、有責認定をした事例がトップに来ている。
産科医療補償制度は制度発足3年が経過したが、補償件数247件のうち「調整」に回っているものが既にあり、その数を機構は「100件はいっていない」と明らかにしていない。つまりは、医事紛争に発展しているケースが数少なくないということであり、その契機・論拠に先述の報告書がなるということである。
原因分析委員会、再発防止委員会の報告書は、産婦人科学会などのガイドラインを金科玉条としており、現場でのわずかな差異も認めないきらいがある。診療のガイドラインは、医学的な「指針」ではあるが、患者容態や現場状況に応じ臨機応変に対応することを前提にしており、医療者にとってこれはあたりまえのこととなっている。しかし、一般の人々にとって、この前提なしに書かれた報告書の「ガイドラインからの逸脱」などの文言は、非常に誤解を生じさせ易い。
紛争防止、産科医療の向上の謳い文句とは逆に現実は、執拗な機構からの資料提出要求に閉口する産科診療所や、分娩監視の設置を定めたガイドラインに困惑する助産院(ないのが一般的)など、この制度への対応に神経をすり減らし疲弊し、産科医療が更に委縮の連鎖に入りこんでいる。
重度脳性麻痺児と家族の救済をとの思いで、分娩機関は、この制度が国の責任によるものと錯覚し加入した。国の審議会での検討の経緯や、運営する日本医療機能評価機構が公益財団法人であることから無理もない話である。しかし、この機構は単なる民間団体にすぎない。しかも、昨年発覚した加入医療機関を通じて登録した妊産婦の個人情報893名分が、この機構から漏出した事件の際、日本産婦人科医会からの委託により個人情報を管理しているだけだと、誤魔化しをはかり責任を曖昧にしている。
この機構は分娩機関の代理人的位置づけにあるにも関わらず、守秘義務のあるカルテの提出を義務付ける、調整委員会による有責認定に異議申し立て権がない、その結果の仔細を公開する等、理不尽がまかり通っている。繰り返すが、この制度は公的制度ではなく民間団体による民間保険制度である。分娩機関の掛け金を原資とする補償金も、当初の補償予定件数を大幅に下回っているだけに、掛け金水準の妥当性や、剰余財源の使途など、機構や保険会社の財政運営の不透明さが指摘されてもいる。
本制度の委員、勝村久司氏は「これからは、補償制度が裁判のかわりになる」と、その真の目的を雑誌「WEDGE」(12年1月号)で語り、昨年12月12日の「無過失補償制度等のあり方に関する検討会」(第4回)で産科医療補償制度に再発防止院委員会委員として関わっている経験からその意義を強調。ガイドラインが標準医療と絶対視し、重度脳性麻痺の事例はガイドラインを守っている例では殆どないと発言している。
奇異なことに、なぜかこの民間の産科医療補償制度は公的医療保険の産科の診療報酬、ハイリスク分娩管理加算を算定する際に、制度加入が要件となっている。また、昨今、診療報酬で点数算定の基準としてガイドラインを要件とするものが増えてきており、全診療科目の無過失補償制度といずれリンクすることが想像に難くない。ちなみに日本医療機能評価機構は、「医療事故情報収集等事業」を担っており、法律で義務付けられている大学病院等272病院と任意参加の578医療機関の計850機関の事故情報の集積と分析を全ての診療科目で行っている。
09年6月の財政審議会「建議書」は、出来高、皆保険、自由開業制、フリーアクセス、現物給付、自由裁量権の、日本の医療特性の否定を掲げ、着実に施策を敷いてきている。包括払い、国保無保険者、5疾病5事業、紹介なし大病院受診の差額負担、療養費制度の拡大の前5者にとどまらず、医薬品の処方権侵害やガイドライン化など自由裁量権の否定は既に始まっている。
故意による犯罪や、医学的にみて「重大な過失が明らか」な医療事故は、大方がみて問題の所在は明らかである。これらは、しかるべき法的措置の俎上にのるものである。
医療は個別性が高く、不確実なものであり、そのもとで医療者は最善を尽くしている。医療は患者と医療者の信頼、共同作業の上に成り立つものである。不幸にも医療事故により、治療結果が思わしくなかった際の、医療者の誠実な対応、それを担保する免責による事実、情報の収集と原因分析、診療現場へのフィードバック。このバランスと重過失の線引き、これまでに堆積した医療不信の払拭など、無過失補償制度の議論は着地点を見ていない。
この産科医療補償制度の現状は、決して医療の未来を明るくはしない。少なくとも、公的責任による制度の樹立と、救済制度と原因分析・再発防止の担当組織の分離峻別は必要だと考える。
足下にある危機に医療界が目を向けることを切望する。
2012年1月19日
◆参考◆ 産科医療補償制度の仕組み (日本医療機能評価機構のホームページより)
医療界を萎縮の連鎖に追い込む理不尽な先鞭
産科医療補償制度の危険性を警鐘乱打する
神奈川県保険医協会
政策部長 桑島 政臣
産科医不足は依然、深刻な状況にある(厚労省調査)。医学部卒業生の産科選択はいま激減しゼロとなっている大学が数少なくない。お産の未来が危ない、つまり日本の将来が危なくなっている。
無罪となった産科医の逮捕事件の衝撃は依然と大きく、訴訟リスクも外科の倍(1,000人あたり9.9人)と異常に高いことがこの背景にある。このような下、医事紛争を誘発させる巧妙な仕組み、産科医療補償制度の陥穽がいま次々と明らかになっている。この制度は検討中の無過失補償制度の雛型となる可能性が高く、全ての診療科目の医療事故に適用され、診療現場への影響が計り知れない。近くこの制度は見直しとなるが、その帰趨が医療界の命運を握っているといっても過言ではない。
われわれは、産科の限局的な問題ではないことを説き、この危険性を警鐘乱打するとともに、理不尽な仕組みの改善を強く求める。
医療事故とはイコール医療過誤ではない。偶発的なアクシデントや不可避的な事象などを含んだ医学技術的な観点で予期せぬ事柄を包摂した概念である。医療過誤はその一類型である。
産科医療補償制度は(1)分娩に関連して発症した重度脳性麻痺児とその家族の経済的救済、(2)発症原因の分析、(3)これらを通じた紛争防止と産科医療の質向上を目的とし、09年1月に発足した。制度運営は日本医療機能評価機構(以下、「機構」)が担い、分娩機関が1分娩につき掛け金3万円を負担し、重度脳性麻痺児の発症の際に3,000万円(一時金1回600万円、分割金120万円/年で20回)が「補償金」として機構から分娩機関を通じて妊産婦に支払われる。ただし、約款に事務の委託条項があり、機構から直接支払われる。また先天性要因や分娩後感染症によるもの等は補償対象から除外される。
この制度に関し、機構は損保会社の東京海上日動火災等と保険契約を結んでおり、分娩機関の掛け金をもとに「保険料」を損保会社に納め、重度脳性麻痺児の発症の際に「保険金」として支払いを受ける形となっている。つまり、事実上の「民間保険制度」の枠組みとなっており、機構が分娩機関を統括して代理契約する形となっている。
問題は、この機構が行う「補償認定」と「原因分析」、それに伴う「調整委員会」の調整、「原因分析報告書」「再発防止報告書」にある。
この制度は、重度脳性麻痺児の発症の事実をもって、補償がなされるのが制度の本来である。しかし、機構は補償の可否、つまり損保会社に保険金請求をするかどうかを、分娩機関の依頼の際に、「補償認定審査会」で協議をする。その際、出産証明のほかに、なぜかカルテ、検査データ、診療体制情報など詳細な書類の提示が義務づけられている。
また、この制度の目的の二番目、発症原因の分析に関し、上記とは別の「原因分析委員会」が提出されたカルテ等を分析。"分娩機関の過失の有無を判断するものではない"、と断言しながら、「重大な過失が明らか」なケースは医療訴訟に精通した弁護士等から構成する「調整委員会」で法律的検討をし、分娩機関との「調整」を行うとなっている。「調整」とは、有責認定による「賠償責任保険」への切り替えを意味している。しかも、この結果に対し分娩機関は異議申し立てが不可能という、不可思議な仕組みとなっている。
更には、この原因分析委員会が作成する「原因分析報告書」は、個別に発症事例の仔細が記されてあり、ホームページで要約版が公表され、全文も氏名等がマスキングされた上で公開となっている。よって匿名化されていても、当事者自身は特定ができる。「再発防止委員会」はこの分析報告をもとに「再発防止に関する報告書」を作成しているが、有責認定をした事例がトップに来ている。
産科医療補償制度は制度発足3年が経過したが、補償件数247件のうち「調整」に回っているものが既にあり、その数を機構は「100件はいっていない」と明らかにしていない。つまりは、医事紛争に発展しているケースが数少なくないということであり、その契機・論拠に先述の報告書がなるということである。
原因分析委員会、再発防止委員会の報告書は、産婦人科学会などのガイドラインを金科玉条としており、現場でのわずかな差異も認めないきらいがある。診療のガイドラインは、医学的な「指針」ではあるが、患者容態や現場状況に応じ臨機応変に対応することを前提にしており、医療者にとってこれはあたりまえのこととなっている。しかし、一般の人々にとって、この前提なしに書かれた報告書の「ガイドラインからの逸脱」などの文言は、非常に誤解を生じさせ易い。
紛争防止、産科医療の向上の謳い文句とは逆に現実は、執拗な機構からの資料提出要求に閉口する産科診療所や、分娩監視の設置を定めたガイドラインに困惑する助産院(ないのが一般的)など、この制度への対応に神経をすり減らし疲弊し、産科医療が更に委縮の連鎖に入りこんでいる。
重度脳性麻痺児と家族の救済をとの思いで、分娩機関は、この制度が国の責任によるものと錯覚し加入した。国の審議会での検討の経緯や、運営する日本医療機能評価機構が公益財団法人であることから無理もない話である。しかし、この機構は単なる民間団体にすぎない。しかも、昨年発覚した加入医療機関を通じて登録した妊産婦の個人情報893名分が、この機構から漏出した事件の際、日本産婦人科医会からの委託により個人情報を管理しているだけだと、誤魔化しをはかり責任を曖昧にしている。
この機構は分娩機関の代理人的位置づけにあるにも関わらず、守秘義務のあるカルテの提出を義務付ける、調整委員会による有責認定に異議申し立て権がない、その結果の仔細を公開する等、理不尽がまかり通っている。繰り返すが、この制度は公的制度ではなく民間団体による民間保険制度である。分娩機関の掛け金を原資とする補償金も、当初の補償予定件数を大幅に下回っているだけに、掛け金水準の妥当性や、剰余財源の使途など、機構や保険会社の財政運営の不透明さが指摘されてもいる。
本制度の委員、勝村久司氏は「これからは、補償制度が裁判のかわりになる」と、その真の目的を雑誌「WEDGE」(12年1月号)で語り、昨年12月12日の「無過失補償制度等のあり方に関する検討会」(第4回)で産科医療補償制度に再発防止院委員会委員として関わっている経験からその意義を強調。ガイドラインが標準医療と絶対視し、重度脳性麻痺の事例はガイドラインを守っている例では殆どないと発言している。
奇異なことに、なぜかこの民間の産科医療補償制度は公的医療保険の産科の診療報酬、ハイリスク分娩管理加算を算定する際に、制度加入が要件となっている。また、昨今、診療報酬で点数算定の基準としてガイドラインを要件とするものが増えてきており、全診療科目の無過失補償制度といずれリンクすることが想像に難くない。ちなみに日本医療機能評価機構は、「医療事故情報収集等事業」を担っており、法律で義務付けられている大学病院等272病院と任意参加の578医療機関の計850機関の事故情報の集積と分析を全ての診療科目で行っている。
09年6月の財政審議会「建議書」は、出来高、皆保険、自由開業制、フリーアクセス、現物給付、自由裁量権の、日本の医療特性の否定を掲げ、着実に施策を敷いてきている。包括払い、国保無保険者、5疾病5事業、紹介なし大病院受診の差額負担、療養費制度の拡大の前5者にとどまらず、医薬品の処方権侵害やガイドライン化など自由裁量権の否定は既に始まっている。
故意による犯罪や、医学的にみて「重大な過失が明らか」な医療事故は、大方がみて問題の所在は明らかである。これらは、しかるべき法的措置の俎上にのるものである。
医療は個別性が高く、不確実なものであり、そのもとで医療者は最善を尽くしている。医療は患者と医療者の信頼、共同作業の上に成り立つものである。不幸にも医療事故により、治療結果が思わしくなかった際の、医療者の誠実な対応、それを担保する免責による事実、情報の収集と原因分析、診療現場へのフィードバック。このバランスと重過失の線引き、これまでに堆積した医療不信の払拭など、無過失補償制度の議論は着地点を見ていない。
この産科医療補償制度の現状は、決して医療の未来を明るくはしない。少なくとも、公的責任による制度の樹立と、救済制度と原因分析・再発防止の担当組織の分離峻別は必要だと考える。
足下にある危機に医療界が目を向けることを切望する。
2012年1月19日
◆参考◆ 産科医療補償制度の仕組み (日本医療機能評価機構のホームページより)